ブログ筆者のプロフィール

1958年生まれ。東京都在住。

鈍い私に、神が意思表示してくださる

これまでの人生で合計5人が、将来私が牧者になることを予告した。

一人目は私の母。彼女が天に召される3年ほど前に、「実は知主夫がお腹の中にいた時、『神様、あなたにこの子を献げます』と言って神様に献げたのよ。初子は神のものと聖書に書いてあるから」と、聞かされる。それは牧者になってから25年経ってからのこと。

二人目は、アメリカ人の老齢のクリスチャン女性。私がアメリカにいた12歳の頃、「この子は将来牧会者になる」と予告する。しかし、それを知ったのは牧仕になって10年ほど経ってから。

三人目から五人目は、牧仕や伝道者の方々。二人は男性で、一人は女性。「あなたは牧仕として召されている」と、一人の男性牧仕はアメリカで、もう一人の男性牧者は日本で。最後の女性伝道者は「あなたは将来牧仕になりますね」と、初対面の時に宣言に近い表現で伝えられた。直接三人もの人を通して、神の意志を伝えられたのは、神があわれんでくださり、鈍い私でもわかるようにされる必要があったからだと思う。

キリストが現われ救ってくださったのに…

アメリカで大学(写真&絵画)に在籍していたときのこと。

パンクロック·ボーカリストの親友がワシントンDC近郊に帰郷するので、私の車で一緒に行った。二人でワシントンDCのアフリカ街をほっつき歩いているとき、彼が悪魔礼拝堂を見つける。一緒に見学に行こうということになり、私がドアベルを鳴らすと、執事みたいな初老の男性がドアを開けてくれたが、見学は断れる。

たったそれだけのことだったが、フィラデルフィアで日本人牧仕の家に泊めていただいたときに、悪霊に憑かれたことが判明。めちゃくちゃ体調が崩れ、最悪に気持ち悪くなる。

「救急車を呼んで欲しい」と訴えるつもりが、腹の底から熱い何かが私の喉や口を目指して登ってくる。その熱いものの正体は「祈ってほしい」という言葉だった。私の顔色を見て怯(おび)えた人たちが、牧仕の家からそそくさと帰って行く。それが、大晦日の午後8時。

その後、新年の0時まで4時間に渡り、その牧仕が祈ってくれる。祈りの途中「『わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』このキリストのことばを信じますか」と、何度も問われる。死んだら困るので「信じる」と答えるたびに気絶する。

私の脳裏に、ピアノ線のようなものが現れ、「それをつかんでいる手を放すと死んでしまう」という恐怖に取り憑(つ)かれる。それが永遠に続くような感覚の中で疲労困憊してしまい、ついにそのピアノ線から手を放してしまう。すると、真っ逆さまに奈落の底へ落ちる。しかし、高層ビルのエレベーターのように、最後は軟着陸する感覚で奈落の底に到着したのだ。

だんだんと辺りが明るくなり、やがてまぶしくて輝くばかりの状況になる。そして、そこにキリストが立っておられるのが見えた。その瞬間癒され、意識が戻る。それとともに、悪霊が出て逃げて行くのが見える。時計を見ると、それがちょうど新年の0時だった。

その後も、この経験を思い出すと泣いてしまう私だったが、キリストがこれほどまで大きくあわれんでくださったのにもかかわらず、キリストに従うことも、自分を明け渡すこともしなかった。

これが、イエス·キリストとの最初の出会いだった。キリストは実在することは認めざるを得なかった。しかし、これだけの恩義があるのにもかかわらず、悲しいかな、この時はイエスを主とすることはなく、愚かな状態は続く。

愚か者が、聖霊のバプテスマを受ける

20代後半、愚かで罪深い行いの積み重ねの中、100キロのスピードで人生の壁に激突。どん底から、神に助けを呼び求め始める。

ある牧仕の運転手として、ある教会を訪れたとき、踊り場で具合が悪くなり床に倒れ込む。すると腹の底から熱いものが、喉と口の方へ登ってくる。その正体は「愚かだった〜」という言葉だった。その晩、神から夢の中で語りかけられる。

私の信仰的背景はカリスマ派(聖霊派)ではないが、その深夜、日本語で「ローマ書の6章の8節」という声を、夢の中で3回聞く。翌朝、ある牧仕に祈ってもらうと、聖霊のバプテスマを受け、明確な言葉である異言を語る。

この異言の解き明かしは「もしわたしたちがキリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる」(ローマ人への手紙6章8節/口語訳)。その後30日間、喜びに満ちあふれた日々が続く。

自殺未遂からの回復と三つの願い

しかし、その後、キリストに従えずに罪を犯す。その結果、神から離れ鬱になり、心に2トンの重石がのしかかるような日々が続く。

そんなある晩、東京湾に自殺をしに行く。死の狂気が宿るのを待っていると「わたしにチャンスをよこしなさい」という小さな声が聞こえてきた。そこで引き返して、以前バックパック旅行のときにお世話になった「テゼ共同体」(フランス·ブルゴーニュ地域にある)のブラザー·トーマスに国際電話をして、3ヶ月後に、フランスに行く。

不思議にも、テゼ共同体創立者ブラザー·ロジェが、彼自身にとって大切なものを犠牲にしてまでも、ボロボロの私に手を差し伸べてくれた。30日間、フランスのテゼ共同体で祈ると、神が回復を与え、聖霊が再び与えられる。

30日間の後半で、ずいぶん回復が与えられた頃、祈りの中で神に三つのお願いをする。

「本物の教会を与えてください。本物の牧仕を与えてください。本物のキリストにある兄弟姉妹を与えてください」

なんで私が《信仰義認》へ?

帰国後、悪魔が「お前なんかダメだ」と言ってくる。通勤電車の中で、ローマ書3章24節から、「ただ神の恵み、キリストの贖い(十字架)のゆえに無代価で義と認められる」という言葉を、その悪魔の声に向かってぶつけ続けると、その声が消える。その時、自分はキリストを信じたという理由だけで、神から正しい(義)と認められたことを知る。

私の三つの願いに、神は耳を傾けられた

神の不思議な導きで、アメリカにあるカルバリーチャペル·コスタメサの創立者チャック·スミス牧仕と日本で出会う。導きによって渡米してからは、3年間、彼が牧会している教会に集う。彼をはじめ兄弟姉妹が、私たち家族を愛してくれる雰囲気の中、創世記から黙示録までのチャックのメッセージを聴き学ぶ機会が与えられる。

長期滞在してチャックが牧会している教会に通うには留学査証が必要なので、ビザを取得するためフラー神学校に2年間通った。結果として私にとっては、その間、毎週日曜日と木曜日、無料でチャックから学んだ方が聖書の理解がとても進み、牧会についても深く学ぶことができた。

その結果、以前よりも養われ整えられたことを実感する。私はフラー神学校を退学し、チャックが牧会している教会の「スクール·オブ·ミニストリー」に転校。そこで仕える働き(ミニストリー)について学びながら、教会オフィスで座って電話をかけてくる相手の話を聞いて祈り、アッシャー(案内係)として働き、日曜礼拝では礼拝後に祈って欲しい人たちのために祈って仕える機会が与えられる。

神は、本物の教会と牧仕と兄弟姉妹のモデルを見せてくださり、その後、牧会する上でとても貴重な体験をさせてくださった。今後、私自身が牧者として本物へと成長し、本物の教会を神に育て上げていただき、本物の兄弟姉妹とともに、互いの成長のために愛をもって仕え合う道を開いてくださった。

神はチャックを通しても、私を愛してくれる

アメリカにあるカルバリーチャペル・ムーブメントの創始者チャック・スミス牧者との最初の出会いは、東京のあるカンファレンスだった。私は、彼が誰であるか、カルバリーチャペルが何であるかまったく知らなかった。それでも、たまたまその日は残業がなかったので、何の期待もないままカンファレンスに行ってみた。すると、彼が聖書を素朴に解き明かすのを聞いていた時、神が私の心を開かれたので、私は自分でもひどく困惑するほどにむせび泣いた。

その翌年、チャックが再び来日してカンファレンスが開かれた。

質問コーナーで私は彼に、「あなたと同伴している牧仕たちはあなたから愛されたと言っていますが、あなたは、あなたが彼らを愛したように、他の牧師たちから愛されたことはありますか?」と質問した。すると、「私はそのようには牧師たちから愛されたことがない。あなたはローマ書を読みなさい」と真摯に答えてくれた。

その後3年間、アメリカで彼が牧会する教会で学ぶ機会が与えられる。日本に帰国する前に、彼に挨拶に行くと、「知主夫を通して神の国が広がるように」と祈ってくれる。

帰国して、単立キリスト教会で副牧者として仕えるようになったある日、チャックの下で働く宣教牧者から国際電話がかかってくる。

「チャックが、知主夫に日本でカンファレンスを開いてほしいと言っている」という内容だった。しかしこの時は実現しなかった。

さらに7年後、カルバリーチャペルと提携してから数年後に、カルバリーの牧仕たちから、カンファレンスを開くように依頼される。その時から現在に至るまで、カルバリーチャペル・カンファレンスのコーディネーターをさせていただく。

人間関係で今後どうしようかととても悩んでいたある時、南カリフォルニアにあるカルバリーチャペルの書籍部門を訪問する。チャックが著した500ドル相当の書籍やビデオなどを購入しようとしている時のこと。それらの用意ができるまで、待合室で待っていると、チャックの孫が「僕はバッドです。あなたのお名前は?」と自己紹介を兼ねて近づいてくる。そのすぐ後、チャックの奥様のケイが「あなたのために祈りたいので、あなたの教会の名前を教えてくれる?」と尋ねるので、「ジーザス・コミュニティです」と答えると「そのまんまの名前ね」と言われる。

次の瞬間、受付の女性が「この待合室に知主夫はいる?」と大きな声で言うので、「ここにいるよ」と答えると、「チャックが『知主夫を愛していると伝えて』と言ってるわ」と言うのでとても驚く。   

それから、レジに行って商品の支払いをしようとすると、「もうチャックが支払ったから大丈夫ですよ」と言われる。私が弱っている時に、神はチャックを使って私を力づけてくれたので、この不思な出来事を心から感謝している。

それから2か月、毎朝1時間ほど、今後どうすればよいか、神に導きを求めて祈る。すると、カルバリーチャペルと提携して進むことが示される。その年の、カリフォルニアでの牧仕カンファレンスでチャックから呼び出されたときに「カルバリー・チャペルの一員となれて心から感謝しています」と彼に伝えると、チャックは「兄弟、大歓迎だよ!」と抱き上げられる。神は、祈りに答えてくださった。

2011年の東日本大震災の時、神が救済支援活動のドアを開かれる。チャックがその支援活動を知り、「カリフォルニアでのカルバリーチャペル牧者のカンファレンス(約1000名の主任牧仕が参加)で10分間分かち合ってほしいと、チャックが言っている」と、私たちの教会を訪問したコスタメサの役員のロジャーさんから依頼される。そこで、3分間のビデオにまとめて、大勢の牧者たちの前で、神がしてくださっていることを分かち合う機会に恵まれる。

その後、チャック牧仕が病弱になった頃に手紙を差し上げると、彼から感謝の返信があり「神があなた(知主夫)の心に与えられた滅びる人たちへの重荷」について分かち合ってくれる。

チャックが私を誰なのかまったく知らず、どこの馬の骨だかもわからないようなときに、神は彼との愛の交わりを与えてくださった。この人との交わりを通して、心の鈍い私に、神は愛であることをさらに教えてくださった父なる神、本物の牧者に会わせてくださった父なる神にキリストにあって、心の底から感謝し、ただただ神をほめたたえます。

牧仕になってからも、神は導かれる

人生で、合計30年間、三つの教会で牧仕として働く機会が与えられる。最初は、1992年から南カルフォルニアの小さな教会で。次は、1995年から東京都内にある比較的大きな教会で。次に1999年の復活祭に、東京のJR国分寺駅前に「ジーザス·コミュニティ」を開拓·牧会することが許され、現在に至る。

ジーザス·コミュニティを開拓してからは、アメリカのカルバリー·チャペルと提携する。それ以来23年間、毎年2回、南カリフォルニアで開かれていた牧者のためのカンファレンス(4泊5日)と、宣教仕のためのカンファレンス(4泊5日)に参加し続ける。また、毎年アジア(香港やチェンマイ)で開催されていたカルバリー·チャペルのカンファレンス(4泊5日)にも参加し続ける。そこでも、先輩の牧者や宣教者たちから、牧会や宣教について多くのことを学ぶ機会が与えられる。

ジーザス·コミュニティでは、毎週日曜礼拝において、創世記から黙示録までを順々に教えている。23年間経った今現在、第3ラウンド目の創世記に突入。日曜礼拝で旧約聖書を教えている場合は、平日のバイブル·スタディでは新約聖書を教えている。

ミニストリー(仕える働き)についても、実践を交えて、23年間、毎週日曜日の午後と、月1回土曜日に、兄弟姉妹と一緒に学ぶ機会に恵まれている。

また、キリストの基礎知識『新しい始まり』(ブルックリン·タバナックルの協力牧仕カルロ·ビークスターフ著)のテキストを使用して、超教派のクリスチャン対象に全16回のオンライン講座を、年に2度開催している。

訳書と監修書

訳書と監修書に、『カルバリーチャペルの特徴』(チャック·スミス著)、『帰納的聖書の学び方』(ダン·フィンフロック著)、『キリストの基礎知識』(カルロ·ビークスターフ著)がある。この三つの訳書は、本人もしくは配偶者の方から許可をいただいている。