こんな私でも救われた ③

イエスは彼らに言われた。「さあ、…福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」こうしてイエスは、…福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。」(マルコ1章38〜39節)

イエスが、12弟子に「福音を知らせよう」と言われたとき、ペテロはまったく福音を理解していませんでした。なぜならイエスが十字架と復活について予告したとき、彼は「そんなことが、起こるはずがない」(マタイ16章22節)と言っているからです。その当時イエスはどんな福音を語っていたのでしょうか。

1982年大晦日に、イエスは私に現われ悪霊を追い出してくださいました。これは明らかに、私にとっては福音(良き知らせ)でした。

私と12弟子の違いはなんでしょうか。それは、彼らにはキリストに従う意志があり、私にはなかったということです。

キリスト実現vs自己実現

1985年5月に美術大学を卒業した私は、ロンドンから北京まで行くために動き出しました。ワシントンDCのブローカーに依頼して、共産圏のソ連や東ヨーロッパ諸国、さらに中東の国々の査証を取得し、旅の大まかな計画を立て、ロンドンまでの飛行機の片道切符を購入しました。

この計画を周りの人たちに分かち合うと、美大の教授たちも、フィラデルフィアの日本人キリスト教会の人たちも「それは面白いね」と言ってカンパしてくれました。伝道者だった私の祖父も、「それは、おもろいやないか」と言ってカンパしてくれたのです。

まずは、寝袋をくっつけたバックパックを背負い、ニューヨークからロンドンへ飛びました。ロンドンからスコットランド、アイルランド、オランダ、ベルギー、デンマーク、ノールウェー、スウェーデン、フィンランド、ソ連、ウクライナ、ポーランド、チェコスロバキア、東西ドイツ、フランスへの旅は順調に進みました。

旅の間にさまざまな人たちとの出会い、ともに時間を過ごし、さらには知り合いを紹介してもらって、旅を繋いでいきました。キリストには出会ったもののキリストに従う必要も感じることなく、本を出版して有名になるという自己実現のために突き進んでいたのです。

ソ連に聖書を密輸して捕まる

旅の途中、何度か危ない目に遭いました。最も危険だったのが、聖書を密輸するためにソ連とウクライナに住むクリスチャンを尋ねたことでした。きっかけは、ノルウェーの首都オスロに行ったことです。ある教会では、多くのノルウェー人が日本語を話すことができました。日本に宣教師として滞在していた人たちが多く集っている教会だったのです。

その教会は、福音的で伝道熱心な教会でした。そこの牧師から「あなたはキリストを信じていますか」と尋ねられました。私は、「その質問にどのように答えたら良いかわかりませんが、キリストに出会ったことはあります」と言うと、その場で涙が溢れてきて、それ以上言葉になりませんでした。

それを見た牧師は、「ソ連に聖書を運んでみませんか」と、私に勧めたのです。おそらく「キリストに出会った」と言って泣いていた私を見て、信仰があると勘違いしたのでしょう。

その当時、私はキリストの十字架と復活を知りませんでした。それでも、悪霊に憑かれて奈落の底に落ちたときに、キリストがそこから救い出してくれたのを忘れたことはありません。だから、キリストの十字架は信じてはいませんでしたが、キリストには出会ったことはあるという事実を、牧師に分かち合ったのです。

ソ連に聖書を密輸する誘いに、冒険好きな私は「はい、やります」と答えていました。スウェーデンのストックホルムに着き、ある地下組織に電話をして「Big brother is coming」との合言葉を言うと、私を迎え入れてくれました。

ロシア語のカラーの聖書を6冊と、キリスト教短波放送案内、トラクトを受け取り、フィンランドのヘルシンキから列車に乗り込んで、ロシアのレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)を目指しました。

フィンランドとソ連の国境で、ロシア国境警備隊が列車に乗り込んで来て、私がいた6人個室でも荷物の検査を行ないました。財布を出せと言うので渡すと、その中から「カラシ種ほどの信仰があれば、この山に『ここからあそこへ移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなた方にできないことはありません」(マタイ17:20)と書かれた小さなカードを見つけられました。そして「お前の荷物はどこか?」と聞くので、私は自分のバックパックを指しました。すると、荷物をそこから全部出し、隠しておいた聖書6冊を見つけてしまいました。

兵隊たちは怒り、吹雪の中、私を監視小屋に連れて行きました。私は10本の指紋を取られ、1時間ほど尋問されました。なんとその間、列車は止まったままでした。私は、ストックホルムのクリスチャン組織の人から教えられた通り「ヘルシンキのカフェで知り合った人から頼まれた」と言い続けました。一時間後に解放されましたが、列車の部屋に戻ると、さっきまで仲良く話していたアメリカ人も、ロシア人も、誰も口をきいてくれませんでした。

レニングラード駅に着くと、ロシアの旅行代理店の担当者が迎えて来てくれるはずでしたが、誰も現われません。仕方なく、大きなトラックをヒッチハイクして、ホテルまで送ってもらいました。チェックインしてすぐに、ホテル内のレストランで食事をし、部屋に戻ると私のバックパックが荒らされていました。トイレの中には、3本のタバコの吸い殻が浮いていました。トイレから出ると電話がかってきて、「KGB#%$?!」と言うので、「I don’t speak Russian」と言い返すと、「ハハハハ」と笑ってガチャンと電話を切られました。

「これは完璧に見張られている」と、鈍い私でもわかったので、レニングラードではキリスト教会とは連絡を取らず、モスクワを目指しました。というのも、分けて隠しておいた短波放送案内やトラクトは、国境警備隊に見つかっていなかったからです。

モスクワに行くと、地下組織の人たちに教えてもらった通り、地下鉄とバスを何度も乗り継ぎ尾行から逃れ、バプテスト教会に行きました。夜中に教会に着来ましたが、少なくとも三千人ほどの信者がいました。私は、3階のバルコニーからその様子を見ていました。共産党の支配の下、迫害を受けていたクリスチャンが、深夜に集まり神を賛美している姿に感動しました。まるで天国にいるようでした。

その教会の主任牧師に、キリスト教短波放送案内とトラクトを渡すと、とても喜び、車でホテルまで送ってくれました。車中で、彼は、1970年の世界バプテスト会議で日本へ行ったことがあると分かち合ってくれ、「明日のランチ、一緒にどうですか」と親切に言葉をかけてくれました。もちろん喜んで、ランチをともにしました。

そしてモスクワからウクライナのキエフ(現在のキーウ)に移動し、現地の地下教会の兄弟姉妹に、残りの印刷物をすべて渡すことができました。

アウシュヴィッツ(ポーランド語:オシフィエンチム)

ウクライナからは、ポーランド行きの列車に乗りました。そこで陽気なポーランド人たちと知り合い話していると、自宅に招待してくれました。その家族が、アウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所の近くに住む親戚を紹介してくれました。それで私は、次にそこを訪れました。すると、収容所のガイドをしていたその家の娘さんが、無料でプライベートガイドをしてくれました。

当時のまま残されている収容所の内部に、虐殺されたユダヤ人の数々の遺品が陳列されていました。各部屋では、殺害された人たちの髪の毛だけ、違う部屋ではメガネだけ、さらに違う部屋では靴だけ、それらが山のように積まれていました。私はだんだんと気分が滅入り、頭痛がし、ついには吐き気がしました。しばらく休んでから、再び案内してもらい、そこで起きた出来事について詳細に教えてもらいました。

テゼ共同体へ導かれる

ポーランドの次には、チェコスロバキア、東西ドイツをまわり、多くの人たちにお世話になり、フランスへと向かいました。

フランスのストラスブルグでは、アフリカで医療伝道を行なっていたアルベルト・シュヴァイツァー博士の記念館で働く知り合いを訪ねました。すると、そこの館長が「特別にシュバイツァー自身が考案して彼自身が寝ていたベッドを使わせてあげるから、今晩は泊まって行きなさい」と、驚くべきもてなしてくれました。そのベッドは角度やマットレスの硬さがよく考えられおり、そのおかげで爆睡できました。

その町には、シュヴァイツァーが卒業した神学校がありました。そこのカフェテリアに夕食に行くと、私の前に韓国人の神学生が座りました。その彼としばらく話していたら、「テゼという村にキリスト教のコミュニティがあって、あなたにはそこが合っていると思うから行ってみたらどうか」と親切に言ってくれました。

それからしばらくして、パリに移動し、旅行代理店のウィンドウに貼られている乗合情報を使って、テゼ方面に出張で車を出す人に連絡を取り、その近くまで行って降ろしてもらいました。

旅は2年の予定でしたが、思いもよらず7ヶ月で終わってしまいました。これから向かうテゼ共同体で、突如、旅の終わりを告げられてしまうのです。そんなこととはまったく知らずに、このコミュニティに向かって行きました。

ジーザスコミュニティー国分寺牧師 桜井知主夫

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この記事を書いた人

桜井 知主夫のアバター 桜井 知主夫 プロテスタント・キリスト教会、ジーザス・コミュニティ国分寺の牧者

やさしく学べるクリスチャンブログにようこそ! 私は、東京にあるプロテスタント・キリスト教会、ジーザス・コミュニティ国分寺の牧者の桜井知主夫(さくらいちずお)です。今まで、3つの教会に牧者として仕えて30年になります。’99に現在の教会を開拓する機会に恵まれ、今日に至ります。聖書的クリスチャンライフをわかりやすく説明します。

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