私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。(詩篇五十一:11~13)
これはダビデがバテ・シェバと不倫をし、彼女の夫ヘテ人ウリヤを計画的に殺した後に受けた厳しい懲らしめの中で書いたものです。彼は、聖霊が与えられていたにもかかわらず、性的不品行の罪を犯し、聖霊が取り去られるという危機に瀕しました。性的不品行は大きな罪であり、神は厳しく対処されることが分かります。
婚前交渉の罪のゆえに暗闇に叩き込まれる
私は、聖霊のバプテスマを受けたときは婚約中でしたが、その人と性的不品行の罪を犯しました。さらに、その人との婚約が解消になってから、違う女性と婚約し、さらに性的不品行の罪を犯しました。それゆえ、神は私を厳しく懲らしめ、その婚約も解消されました。それだけではなく、その後二年もの間、聖霊の喜びは取り去られ、暗闇のどん底に叩き込まれたのです。
十三歳のときに教会を去った私は、婚前交渉が罪であるということをハッキリとは知りませんでした。高校生の頃から彼女がいた私は、性的な不品行を繰り返していたのです。
しかし、聖霊を受けてからの性的不品行の罪は、それ以前とは明らかに違うレベルのダメージを魂に与えました。「だまされてはいけません。(性的に)不品行な者…みな、神の国を相続することができません」(1コリント六:9~10)と書いてある通りです。神は、この領域の罪に対し厳しく対処されることを、このとき知ったのです。
聖霊のバプテスマを受けた後、祈ってくれた牧師から、クリスチャン心理学者の本を渡され、すぐに読みましたが、性的不品行をやめなければならないという思いには至りませんでした。上記の聖書のことばを知ったときの方がはるかに「性的不品行はヤバい」と、強く思いました。
鬱の症状が進み自殺未遂へ
私は、自らの性的な罪のゆえに、二年間にわたり鬱になり暗闇を這いずり回っていました。神が、せっかくカメラマンとして祝福してくださっていたのに、鬱がひどくなり徐々に仕事も減っていきました。昼夜が逆転し、友人からの電話には出なくなりましたが、仕事の打ち合わせだけは、自分に鞭打ち行っていました。ある日、焼肉屋で打ち合わせをしていた時のことです。肉を飲み込んでも、のどの筋肉が口内へ戻してしまうのです。ついに体が食物を拒むところにまで追い込まれた瞬間でした。毎日、両肩が二トンほどの重りに圧迫されているようでした。それが取り除かれる気配もまったくなかったのです。
ある夏の午前三時頃、私は東京湾にいました。自殺したかったのですが度胸がなく、ただ狂気が宿るのを車の中で待っていました。車ごと海の中に突進すれば死ねると考え、エンジンをふかしていました。しかし、そこに訪れたのは狂気ではなく、神の静かな声でした。神は「わたしにもう一度チャンスを与えなさい」と、語りかけてくださったのです。
そのときは、「人間は、神に何かを与えることができるか」と思いましたが、後年、聖書には「だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。」(ローマ十一:35)と書いてあるのを知りました。
再びテゼ共同体へ
そのとき、私は自殺することを思いとどまり、帰宅しました。そして考えました。「どのようにして神にチャンスを与えればいいのだろうか」。それさえも神に聞かなければなりませんでした。藁をもすがる思いで、テゼのブラザー・トーマスに国際電話をかけて自分の状況を分かち合うと、思いがけず「テゼに来なさい」と言われました。
私はしばらくしてフランスのテゼに向かいました。しかし、テゼに着くと、「ブラザー・ロジェもブラザー・トマスも、ローマに行っている」と、留守番をしていたブラザーが言うではありませんか。テゼが主催していたカトリックとプロテスタント合同の若者の祈り会のために、彼らはローマに行っていたのです。テゼに残っていたブラザーに「あなたもローマに行きたいか?」と尋ねられたので、「はい」と答えると、ローマ行きの切符を世話してくれました。
ローマでは、郊外のカトリックの修道会に泊まりながら、毎朝バスに乗って、ローマの中心部で行われていた祈り会に通いました。ローマの新聞には、「冷戦後初めて、共産圏ハンガリーから八百人の若者がテゼ共同体の祈り会に参加するため、ローマに来た!」という見出しが、一面を飾っていました。
神が、ブラザー・ロジェを通して、愛を示してくださる
ある日のことです。ローマ市内にある巨大な教会堂を歩いていると、ハンガリーの若者がブラザー・ロジェを囲んでいるところに出くわしました。その様子を見ていると、なぜか腹の底から妬みと怒りが込み上げてきたのです。そして、その思いを露わにブラザー・ロジェを睨みつけました。「どうせ、お前は白人しか興味がないんだろう。お前はニセもんなんだよ」と、苦い思いが吹き出してきたのです。
彼は三十メートルほど先にいましたが、優しく、しかし戸惑った目で私を見つめているのが分かりまました。そんな状況が三分ほど続き、そこにいた若者たちが騒ぎ始めました。何人かの若者が、「あなたは、どこから来たのか」と質問してきたので、ウザいなあと思いながら「日本だ」と吐き捨てたとき、なんとブラザー・ロジェが、若者たちの間から出てきたのです。
彼の手には、マザー・テレサの孤児院から養女として引き取ったインド人の女の子の手が握られていました。若者たちの背が高く、小さな女の子がいるとは、まったく気がつきませんでした。後日談ですが、ジーザス・コミュニティを開拓してから数年後に、テゼから手紙が届きました。その中には、レディーになったインドの子の写真、そこには彼女が婚約したことが書かれていました。ブラザー・ロジェは、この時の私との出会いを覚えていてくれたのです。
驚くことに、彼は、苦い思いであふれている私の手を取りました。そして、インド人の女の子と私と三人で、巨大な教会堂を百メートルほど歩いて、外に出ました。大勢の若者が、私たち三人を見つめていました。私は恥ずかしくて顔から火が吹き出ているようでした。なぜならブラザー・ロジェが私に歩み寄り、思いやりを示してくれたその瞬間、苦い思いにあふれていた自分に気がついたからでした。妬んで、恨んで、怒って、憎んで、恐れていた、自分自身に光が照らされたのです。
教会堂から外に出たところで、「これからどうするのか」と、ブラザー・ロジェが私に聞きました。「テゼ共同体に行って祈ります」と答えるのが精一杯でした。しかし、その通り、それから三十日間、昼夜かまわず咽び泣き、祈りました。テゼでは、毎食後、一時間の礼拝をします。礼拝に出たまま残り、朝昼晩と祈りました。腹の底からうめき、「助けてくださ~い」と絞り出していました。多くの場合は言葉にもならず、ただ涙がテゼ共同体の会堂の床を濡らすのでした。
聖霊の喜びが戻り、三つの願いを神に叫び求める
祈り始めてから二十日を過ぎた頃、不思議なことが起こりました。それまでの二年間、私の両肩を圧迫していた二トンにも感じる重りが、気がつくと取り除かれていたのです。そして、感謝なことに聖霊による喜びが戻ってきたのです。テゼでの最終週には、私の内側にある喜びに惹きつけられて、多くの若者が近寄ってきました。
三十日間の祈りの中で、三つのことをキリストに願いました。「本物の①教会、②牧者、③兄弟姉妹を与えてください」。そのように祈って帰国しました。
神は、私を愚かな肉の思いから引き離すために、懲らしめられました。懲らしめは、神の性質を身につけるためであると、聖書は言っています。神は聖い方なので、私も聖くなる必要があります。神は私を聖くするために呼ばれたのに、聖霊を受けてもすぐに私はつまずきました。神は、そんな私を鬱の期間を通し懲らしめられたのです。
「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」(ヘブル十二:6~7)
日本に帰ると、生まれて初めて自発的に「本物のキリスト教会」というものを探し始めました。カトリックの聖霊派から、日本基督教団、福音派、ペンテコステ派、単立など、多くの教会に足を運びました。(次号に続く)
ジーザスコミュニティー国分寺牧師 桜井知主夫