聖書の詩篇には次のように書いてあります。
「愚か者は、自分のそむきの道のため、また、その咎のために悩んだ。 彼らのたましいは、あらゆる食物を忌みきらい、彼らは死の門にまで着いていた。 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らの苦悩から救われた。 主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。 彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。 彼らは、感謝のいけにえをささげ、喜び叫びながら主のみわざを語れ。 (詩編107編17節~22節)」
ここには、私のような愚か者が、自分の犯した罪を負いきれず、神に叫んだと書いてあります。その叫びに対して、神はどうしたのでしょう。深く恵んでくださったとあります。「恵み」とは、本当はふさわしくない、取るに足らない、釣り合わない、良くしてもらうことができない、そんな価なき者に、祝福が与えられるということです。
それは、まさに私の人生に起こったことです。この証しを通して、この愚か者に神がどのように恵みを注いでくださったのかを分かち合いたいと思います。
神に捧げられた赤ちゃん
私は東京・荻窪の衛生病院で産まれました。その日はちょうど日曜日で、桜が散っていたそうです。母はクリスチャンで、聖書に「最初に自分の胎を開く子どもは主のもの」と書かれていることを知っていました。そして、まだ私が胎内にいる時に「この赤ちゃんをあなたに捧げます」と祈ったのです。私がそれを知ったのは、牧者になって20年以上もすぎてからでした。しかし、私の人生はこのような祈りから始まっていたのです。愚かな歩みをしていた私の人生は、産まれる前からすでに神に捧げられていたのでした。
1970年頃、私が小学生の時です。父は国立大学で情報科学を教えていましたが、文部省からの派遣でアメリカのフィラデルフィアに家族で移住することになりました。一ドル360円の時代です。為替の影響で、どれだけ円があっても私たち一家は「貧乏」で何も買えませんでした。しかし、現地の教会からいただいて、家具をはじめ生活に必要なものは一通りそろえることができました。自転車を買ってもらえなかったので、大家さんの家で芝刈りをして代賃として自転車を貸してもらうこともありました。政府からの派遣といっても、今の企業の駐在の人たちのような余裕のある生活はできなかったのです。
1年間をアメリカで過ごし、帰国することとなりました。帰国間際に、あるクエーカー教徒の女性の自宅に招かれました。クエーカー教徒とはキリスト教の宗派の一派なのですが、その女性は大きなお屋敷に住んでいました。
これもやはり、私が牧者になってからずっと後に聞いたことなのですが、私が12歳の時、その女性は私を指差し「あの子は将来牧師になる」と預言していたのだそうです。それを聞いた母は、私にとってプレッシャーになってはならないと、出産時に私を神に捧げたことと同様に、ずっと心に秘めていたのでした。
「アメリカ帰り」鼻つまみ者になる
日本へ帰国して、私は中学生になっていました。制服を用意しなければならなかったのですが、新学期ギリギリで帰国したため、準備が間に合いませんでした。そこで、私は制服が新調されるまでの1週間、当時アメリカで流行っていたヒッピー風の姿で登校しました。黄色いシャツを着て、黄色と茶色のストライプのパンタロンを履き、毛糸で編まれた袋を持って、地元の公立中学校へ行ったのです。
当然、不良から目をつけられて、1年間いじめられました。私も黙っていじめられているわけではありませんから、やり返してはしていました。当時は帰国子女は珍しく、周りに「アメリカ帰り」と呼ばれバカにされていました。確かに私は、アメリカ文化に感化されていました。考えたこと、思ったことをそのまま言うのがアメリカの文化ですから、言いたいことをそのまま言っていたのです。クラスで一番おとなしく優しい女子からも嫌われ、最悪な一年間でした。嫌がらせで、家の門まで壊されたこともありました。
私が中学生の頃は、まだまだ古き悪き(笑)、昭和の時代でした。学校の教師もひどかった。教師からの暴力も日常茶飯事でした。ある時、教師に注意され言い返したら、髪の毛を掴まれ、運の悪いことに、たまたま私の後ろにあった柱に頭を打ちつけられ気絶してしまったのです。
中学2年生になると、さすがの私も「思っていることをそのまま言うのはまずい」と学習し、状況は少しづつ良くなってきました。友達も多く与えられました。それでも、お祭りなどに出掛けて行っては、高校生とバットで1対1の喧嘩をしたりと、悪さはエスカレートしていきました。本当の「ツッパリ」への道を突き進んでいたのです。
権威に楯突く不良学生
私を悪の道へとさらに押しやったひとつのエピソードがあります。
ある時、私は同級生を殴り、教師に呼び出されました。「なんでやったんだ」と問われ、「やりたかったから、やったんだ」と開き直って言い返しました。その教師は、黙っていました。なぜなら、その人は、私を気絶させた当事者だったからです。何かを言い返せる立場ではありませんでした。
そこにいた二人の教師は、ただヘラヘラと笑っていました。その時です。私の内側の深いところにある何かが切れたのは。「もう権威もくそもない。この教師たちもただのダサい奴らだ」と思い、そのまま部屋を出て行きました。これが中学3年の初めの頃です。この時から、私はますます悪い方へ落ちていきました。
中3の頃には、暴走族間の喧嘩に行きました。新聞配達用のトラックに乗って、敵対するグループを見つけボコボコにするためでした。その時の体験は、血が騒ぐようなものでした。それ以来、暴走族の集会に行くのにハマってしまいました。それでも高校受験に合格し、進学はしました。しかし高校へ行っても私の悪さはとどまることを知りません。午前中はパチンコへ行き、喫茶店でたむろし、午後になってオートバイで教室に乗り付け、そして帰りに雀荘に行くという生活でした。家庭裁判所に3回、今度何か悪さをしたら少年院に行くというところまで行きました。教師の温情でなんとか高校は卒業できたものの、さすがに大学受験には失敗しました。
その後も、予備校に通いながらも暴走族に出入りしていました。ある時、自分たちが乗っていた車が、後続の仲間を待たずに100名近い相手に喧嘩を売ったことがありました。今となれば愚かな私を神が守られたとしか言いようがないのですが、奇跡的にかすり傷ひとつしませんでした。しかし、たまたま私たちの車に乗って来た裏社会の人間だけが警察に逮捕され、恨みを買うこととなり、怒りと恐怖を覚え、徐々に暴走族からは距離をとるようになっていました。
結局、遊びに遊んだツケが回って2浪し、途方に暮れていたそんな頃、伝道者であった祖父が私の人生に介入してきました。以前住んでいたフィラデルフィアにいる両親の友人の元へいったらどうか、と提案してきたのです。このまま日本で予備校に通っていても大学に受かる気もせず、私は再びアメリカで生活することを決めました。
悪霊に憑かれる
アメリカへ行き、紆余曲折はあったものの、最終的にはジョージア州のサバンナにある美術大学に入学することができました。私は絵と写真を専攻し、500人ほどの小さな大学の中ではありましたが、学内の「クリエイティブ賞」を3年連続で受賞したり、2年目には奨学金をもらえることになったりと自信をつけていきました。また、プロも参加するようなコンテストで受賞するなど、積極的にアートの世界に関わるようになっていました。
大学でできた親友の名は、トーマスと言いました。トーマスの父親は外交官でしたが、彼自身は反抗的で、小鳥の頭蓋骨をイヤリングにするようなぶっ飛んだヤツでした。「ビーフイーターズ」というパンクロックバンドのボーカリストでした。
あるクリスマス休暇でのことです。車で両親の友人の住むフィラデルフィアに行くことになり、その途中にあるワシントンDC近郊に帰るトーマスを同乗させていました。ワシントンDCにつき、アフリカンクウォーターと呼ばれるアフリカ人がたくさんいる地域にあるエチオピアンレストランで、トーマスと食事をして外にでると、そこに悪魔礼拝の会堂があったのです。
アメリカにはヨーロッパから1万人くらいは悪魔礼拝を行う司祭のような人が来ているのではないかと言われています。彼らはいたって普通の人で、隣に住んでいるような人々です。しかし、私たちが見たものは明らかに悪魔礼拝の会堂でした。ヤギのマークがフェンスに織り込んであったからです。パンクロッカーのトーマスはそのような悪魔的なものをよく知っていました。それでトーマスは、その建物に興味を惹かれ、「知主夫、あそこで悪魔礼拝をしているから一緒に見学に行かないか」と誘ってきたのです。
私は抵抗感も恐怖も何もなく、悪魔礼拝の会堂のベルを押してしまったのです。すぐには誰も出てきませんでした。3分ほどすると、ギーッとドアが開きスーツを着た男の人が出てきたので、「見学させてください」と頼んだのですが断られ、再びギーと音をたててドアは閉まりました。ただそれだけでした。しかしその時、すでに悪霊に取り憑かれていたとは、私には知る由もありませんでした。
ジーザスコミュニティー国分寺牧師 桜井知主夫
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