「まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」(使徒11章26節)
教会とは、キリストを信じる人たちが集い、霊的に成長するところです。帰国した私は、教会とは何か知りませんでしたが、それでも「本物の教会」を探し始めたのです。
毎週日曜日、カトリックから日本基督教団、福音派からカリスマ派と足を運びました。ある教会のスキーキャンプに参加したとき、数人から「桜井さんは、都内の〇〇教会がピッタリだと思う」と言われました。それで行ってみると、実家から自転車で一〇分、雰囲気も明るく、牧師のメッセージもわかりやすく、若者もたくさんいたのでそこに通うことにしたのです。後日談ですが、その教会の主任牧師は性的な罪を犯し続けており、私たちは大事件に巻き込まれました。しかし、そのときはそこまで識別することはできませんでした。
最良の伴侶に恵まれる
そこで妻と出会うのですが、お互いに最初の印象は良いものではありませんでした。若い社会人の集まりで、私が冗談を言うとほとんどの人が笑うのですが、ひとりだけ決まって笑わず、しらーっとしているのです。それが今の妻だったのです。「こいつ、いけすかないな」と私も思っていましたが、相手は「ウケ狙いは嫌い」と思っていたようなので、まさか結婚するとは思いませんでした。
あるとき新聞に、東京の山谷でホームレスを相手に食堂を開いている牧師の記事が載っていました。火曜日の夜が祈り会と書いてあり、行ってみることにしました。すると、教会の若い女性たちも行くと言い、その中に、後に妻になる彼女がいたのです。
毎週祈り会に行っていましたが、他の女性たちが残業などで来られなくなり、二人で行く機会が増えました。首都圏に住む兄弟姉妹は、様々な路線を利用していましたが、彼女と私は路線ばかりか、最寄り駅まで同じだったのです。この不思議な縁で、私の冗談を笑えない彼女と私の距離は縮まり結婚まで導かれたのでした。また、祈り会では、ホームレスのおっちゃんたちが喧嘩を始めたり、彼女の証を冷やかしたりと、カッコつけることができない環境も、お互い心を開くきっかけとなったと思います。
妻は、箴言に登場するような最良の妻です。「 彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。…彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。」(箴言三十一・12、20)まさに、この言葉がぴったりの人です。私は、このような妻を与えてくださった神に心から感謝しています。
三人の預言
三人が「将来、あなたは牧師になる」と、私に預言しました。最初の牧師はアメリカで、二人目の牧師は日本で、三人目の人は東京六本木の黒柳徹子さんの邸宅で、私が牧師になると言ったのです。その当時、私の職場が六本木にあり、帰りに祖父母と仲が良かった徹子さんの母、朝さんと二人でお茶をしたりして、私も仲良くさせていただきました。
なぜ、私がその場にいたのか覚えていないのですが、ある牧師と働き人の女性、そしてご家族だけで行なわれた徹子さんの弟夫婦の洗礼式に、たまたま居合わせたのです。その場で、初めて会った働き人の方が、聖霊に満たされて私に預言して言いました。「あなたは、牧師になります。」最初の二人に言われたときはあまり感じなかったのですが、そのときは、聖霊による喜びが私の心の中にありました。その縁で徹子さんの弟夫婦に、教会での私たちの質素な結婚式に来ていただきました。その後、神は私に「アメリカで神学校に行こう」という思いを与えられたのです。
信じて義と認められる
結婚してからしばらくすると、今まで重ねてきた罪による罪責感が迫ってくるようになりました。悪魔が「お前なんかがクリスチャンであるというのは、ちゃんちゃらおかしいわ」と責め立てくるのです。私は「聖書の中に、これをはね返す言葉はないのかなあ」と思い、生まれて初めて、必要に迫れて聖書を手にしました。そして、それほど厚くない聖書語句辞典を片手に、聖書を調べ始めたのです。
すると、悪魔の責めをはね返す次のような言葉がありました。
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ三・24)
私が神から正しいと認められるのには、二つの理由があるというのです。一つ目は、神の恵による、とあります。恵みとは、良くされるのに価しない者に神はよくしてくださる、という意味です。二つ目は、贖いによる、とあります。つまり、キリストが十字架で人間の罪を赦すために、赦しの代価をご自分の命で支払ってくださった、という意味です。
私は、直感的に「これはいい。理由の二つともが、自分のことではなく、神のサイドにあるのだから」と思いました。そして、悪魔が私の過去を責めるたびに、上記のことばを思いの中で悪魔にぶつけたのです。電車で帰宅していたときのことです。四谷から池袋に向かう地下鉄の中で、上記のことばを繰り返すと、悪魔の責めが消えたのです。と同時に、自分が正しいと認められたことがわかりました。そして、心の中で「バンザイ」と叫んだのです。興奮しながら帰宅し、この不思議な出来事を妻と分かち合いました。
本物の牧師チャックとの出会い
あるとき、教会の壁にチャック・スミス牧師のカンファレンスのポスターが貼ってありました。チャックのことも、ジーザス革命も、カルバリー・チャペルも知らなかった私は、そのポスターに興味を示しませんでした。しかし、カンファレンス当日、たまたま残業がなかったのです。「どうしようかなあ、会場は自宅と反対方向だしなあ、ちょっとめんどいなあ」と迷っていましたが、「まあ、行ってみっか」という思いになり、会場に足を運びました。
最初はアメリカから来た牧師が、上から目線で日本について語るんじゃないか、とガードを高くして聞いていました。しかし、彼は謙虚で、素朴に聖書のことばを分かち合っていました。さらに、会場にいる人たちを思い遣っているのがわかってくると、突然、神が私の心を開き、神のことばが私の魂の中に流れ込んできたのです。ピリピでパウロが、女性たちに話していたとき、神がルデヤの心を開いたようにです。その後一週間、そのことを思い出すたびに私は咽び泣いていました。このとき「ああ、これが『本物の牧師を与えてください』と願った答えだ!」と分かったのです。
私はこのとき、まったくチャックのことも、カルバリーチャペルのことも知りませんでした。ただ、神が私の心を開き、ご自身のことばを魂の奥底へ注ぎ込み、私を「本物の教会と牧師」へと導いてくださったのです。
それは、私の思いが「神学校に行こう」から「彼が牧会している教会に行こう」に変わった瞬間でもありました。
フラー神学校からスクール・オブ・ミニストリーへ
チャックが牧会する教会に通うために、フラー神学校に通い始めました。しかし、そこでは、いくつかの例外を除いて恵まれることは稀でした。誤解のないように言いますが、この学校で恵まれる人たちも大勢いるでしょう。しかし私はむしろ、チャックの日曜礼拝と夕拝、そして平日の集会のメッセージによって、大いに恵まれました。そこで、チャックがやっていた「仕える働きの学校(スクール・オブ・ミニストリー)」に転校したのです。
そこでは、毎週金曜日にチャック自身が教えてくれました。また毎週火曜日には、色々なカルバリーチャペルの牧師たちが、教会開拓に導かれた経緯や、キリストによって教会が建て上げられていった様子を分かち合ってくれました。実際に多くのカルバリーチャペルを訪問し、質問する機会もありました。
神による強制帰国
二年プログラムの一年目の終わりに、チャックから許可をもらい、コスタメサの宣教牧師にアジア宣教旅行に連れていってもらいました。ベトナム全土、中国、日本の東北を一ヶ月以上かけて周りました。しかし宣教旅行も終わり、東京のアメリカ大使館で査証の延長を申請すると、驚くことに拒否されたのです。フラー神学校の担当者から「査証の種類を変更しても入出国には問題ない」と言われていたのにです。そこで私たち家族は、たった二つのスーツケースでの生活を七ヶ月強いられたのです。
神の導きは、私のような小さな者には分からないものです。数ヶ月経つと、驚いたことに親戚から家を出て行くように言われました。それで私は、小さい子どもと妻と四人で、以前通っていた地域教会の牧師館に転がり込んだのでした。
(次号に続く)
ジーザスコミュニティー国分寺牧師 桜井知主夫