「右も左もわからないぜ!ベイビー」の巻
大きな組織と小さな組織、どっちがより本質を学べるか?
その昔、私がフリーのカメラマンだった頃、セゾングループのトップ竹内さんにご相談する機会が与えられました。「自分がカメラマンとして起業するには、どうすればいいですか?」これが、私の素朴な質問でした。
彼の答えは、以下のようなものでした。「大企業に入っても、所帯が大き過ぎるので、各部署が何をしているかわからないままで終わってしまうから、あなたは小さなプロダクションに入りなさい」。
その後、小さなプロダクションに入る機会が与えられましたが、それでも私には右も左も分からずに終わってしまいました。
これは、私が経験した牧会にも言えることでした。私は、250名ほどの日本では比較的大きな教会に通っていました。アメリカでは、1週間に2万人が来るとても大きな教会で、案内係として、オフィスで牧会を学んでいました。確かに、教会が大きいと各部署がどうなっているのか、なかなか分かりづらい面があるのは事実です。
知的作業と実際面が結びつくには
一方で、小さいからといって、牧会について大きい教会よりも深く学べるわけでもありません。チャック・スミス牧仕が言っていたように「神学校ではなく、聖書学校でもなく、体験学校が一番良く学ぶことができる」だと思います。
過去30年間、私は、三つの教会に仕える機会が与えられました。最初の教会は、南カルフォルニアにある小さな日本人教会でした。その当時、私はフラー神学校に通っていました。しかし、神学校では知的作業には忙しかったのですが、牧会については右も左も分からないベイビーのままでした。
聖書を教えるのは教仕です。聖書を教えつつ、人々の世話をするのは牧仕です。この二つの間に違いがあるのに気がつかずに、イタズラに時間だけが過ぎてしまいました。
最初の南カルフォルニアの教会で仕えていたときのことです。とても悔しい思い出があります。それは、ポルシェを乗り回していた在日韓国人の若者が、女の子目当てで教会に来ました。彼が、私の稚拙な福音メッセージを聞いた後に「信じる人は手を挙げてください」と招くと、なんと手を挙げるではありませんか。その後、彼は1週間にわたり食欲がなくなり、新約聖書を全部読んでしまったそうです。これは明らかに、聖霊の働きであると確信した私は興奮しました。
しかし、その教会に来ていた他の兄弟姉妹が、彼が好きだったカジノに「社会科見学」と称して「連れて行ってくれ」と頼んだ結果、彼は再びギャンブル漬けになってしまい、キリストから離れてしまいました。
私の窺い知れないところで、このようなことが起こっていたのです。後から聞いて唖然とすると同時に無性に腹が立ちました。「なんということをしてくれたんだ!アホか!」という思いが噴き出てきました。
しかし、この時の私の牧仕としての成長段階では、どうすればいいのかまったく分かりませんでした。
カルバリー・チャペル・コスタメサは、それこそ大きな教会で、企業に例えるなら大企業、メガチャーチでした。そこで、各ミニストリーを知ることはできませんし、全体的にどのように運営しているのか? もしくは、全体と各部分をどのように連携して有機体として成長させるために、主イエスからどのように指示をいただいているのか? など皆目見当もつきませんでした。
ジーザス体験塾
それこそ、チャック牧仕が言っていたように、それからの30年間の体験学校で学ぶことになるのでした。
その30年間を大きく分けると、南カルフォルニアの小さな日本人キリスト教会に牧仕として仕えた時代、東京都内の比較的大きなキリスト教会で副牧仕として仕えた時代、そして1999年から東京国分寺の駅前で開拓することを許され主任牧仕として仕えてきた時代の三つに分けることができます。
主イエスは、右も左も分からない私に忍耐してくださいました。また、そこにいた兄弟姉妹も私に忍耐してくれたはずです。主イエスには感謝しかありません。
数ある失敗から学んだことは、今に生かされています。この《ジーザス体験塾》を読まれるあなたにとって、少しでもプラスになることを願って、これからもブログを書かせていただこうと思います。ほんの少しでも益になったと思っていただけたら幸いです。