キリストの弟子になる
キリストは、弟子たちに向かって「わたし(キリスト)の弟子を作りなさい」と命じられました。これはオプションではありません。あなたと私が取り組むものです。キリストの弟子が、キリストの弟子を作るのです。
しかし、その大前提として、主イエスは「わたしに権威があるから」と言われています。つまり、キリストに、それを成し遂げるための権限と力があるから「大丈夫だ!やりなさい」と言われているのです。この励ましを受けるのは、育成には欠かせないものです。
洗礼とは?
弟子となるために、キリストは二つのことを言われました。
- 父、子、聖霊の御名によって洗礼を授けなさい。
- わたしが命じたことを守るように教えなさい。
洗礼は、「そろそろどうですか」の感じの洗礼があることは周知の事実です。しかし、本来の洗礼の意味についてパウロは次のように言っています。
「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマ(洗礼)によって、キリストともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4)
ここに育成の要素が詰まっています。
- 過去は、キリストとともに葬られる
- 新しい歩みをする
過去をすべて、キリストとともに葬ることに取り組むのは、育成につながるのです。
キリストの命令を守るために
そして、父なる神が、御子イエスをよみがえらせた大きな力によって、私たちが新しく人生を始めることこそ、育成の中心にあると言っても過言ではないでしょう。何度でも、過去を葬り、新しく始めることに取り組むのです。
パウロは「後ろのものを忘れることに集中している」と言っています。今までの自分の生き方ではなく、キリストに従う新しい生き方です。
そのように生きようと思う人だからこそ、弟子になるための2番目の「わたしが命じたことを守るように教えなさい」と言われたことを素直に受け入れることができるのです。
そして、キリストが何を命じていられるかを、これから先は時間をかけて知っていくのは、育成につながります。さらに、キリストが命じられたことなら、神は必ず助けてくださることを体験していくこと、その二つが育成に必要なことなのです。