クリスチャンの成長に欠かせない4つのこと
クリスチャンが成長するために欠かせない、いくつかのことがあります。よく言われるのが、次の4つのことです。
1)聖書を読んで神と交わる
2)祈って神と交わる
3)クリスチャン同士で交わる
4)キリストを未信者と分かち合う
キリストの愛を分かち合う
今日は、4番目の「キリストを未信者と分かち合う」ことについて話します。
あなたは、未信者にキリストの愛を分かち合ったことがありますか? もしあるとすれば、どのように分かち合いましたか? そして、その相手はキリストを信じましたか? 逆に、ドン引きされて「二度と宗教の話はしないで」と断られたかもしれませんね。
成功体験ではなく、失敗体験が重なると心も折れてしまいます。そして、知らず知らずのうちに「もう伝道なんかしたくない」という思いが固まってしまうかもしれません。
パウロでさえ恐れていた
使徒パウロは、性格も大胆で意志も固い人でした。しかし、意外に思うかもしれませんが、いざ伝道となると恐れを感じていたのです。彼は次のように書いています。
「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」(Ⅰコリント2章3節)
これは、彼がコリントの未信者の間で伝道していた時の心境です。なぜ性格も意志も強い彼が、恐れおののいていたのでしょうか。それは伝道が、人間わざではなく、神わざだからです。
つまり未信者が強く反発する時、神が助けてくださらなければ、その反発を防ぐ方法はないからです。しょせん、神の助けなしに私たちにはキリストの愛を伝えることはできないのです。このことを理解していないとき、私たちはどうにかして自分の知恵と説得力によってキリストの愛を伝えようと試みます。
パウロは、聖霊と神の力に頼った
一方、パウロはそのことについても次のように述べています。
「私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。…そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(1、4節)
では、パウロは恐れていた時、何をしていたのでしょう。
彼は、祈って神を待ち望んでいたのです。神が自分を助けるタイミングを待っていたのです。このタイミングは、人間がコントロールすることはできません。だからこそ、神の聖霊と御力が現れるまで無力の状態に置かれたパウロは、反発する未信者たちを恐れていたのです。
パウロは、キリストの十字架に焦点を当てた
パウロは、伝道についてある秘訣をつかんでいました。その秘訣とは、十字架につけられたキリストに目をとめて、そこに示されている神の愛を、彼自身が感じ取ることでした。そして、神の力によって、それを未信者と分かち合ったのです。
パウロは次のように語っています。
「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」(2節)
信仰は、神の力に支えられる
そして最後に、使徒パウロは次のようにまとめています。
「それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」(5節)
つまり、伝道は神の力と聖霊の働きによってのみ可能なのです。ではどうしたら、神の力と聖霊の働きを自分のものとすることができるのでしょうか。それは、素朴に祈る以外にはないのです。
伝道は祈りから始まる
ですから、「伝道は祈りである」と言ってもいいでしょう。そして祈るには信仰が必要になります。神が恵み深い方であることを信じることが、私たちの信仰を成長させる鍵なのです。
恵みを体験する上で、次のことを理解することが大切です。私たちの内側には、神から祝福されるものは見つかりません。逆に、呪われるものが見つかります。しかし、神はそんな私たちに、よくしてくださる方なのです。キリストは、私たちのために十字架にかけられて呪われたと、パウロはガラテヤ人への手紙3章で書いています。それは、私たち信じる者を祝福するためです。
パウロは「神はあわれみ深く、神の恵みは優れて豊かなのです。」とエペソ人への手紙の中で宣言しています。(エペソ2章4、7節)
赦されるのに価しない者を赦し、よくされるのに価しない者によくする方だからこそ、私たちにご自分の力と聖霊を与えてくださるのです。
相手の心に、十字架の愛が輝き始めるまで祈る
それを信じて腰を引かずに神に助けを求め続ける時、神の愛を伝えようとしている相手のうちに十字架の愛が輝き始め、神ご自身がキリストに引き寄せてくださるのです。
私たちが未信者にキリストの愛を分かち合おうとする時、神が私たちに求めておられるのは、パウロのように祈って神を待ち望むことなのです。